最高裁判所第二小法廷 平成2年(行ツ)109号 判決 1991年2月22日
熊本市水前寺五丁目七番八号
上告人
山口博文
右訴訟代理人弁護士
佐藤義行
大塚正民
熊本市東町三の一五
被上告人
熊本東税務署長 小山岑生
右指定代理人
小山田才八
右当事者間の福岡高等裁判所昭和六一年(行コ)第二三号更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成二年二月二七日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人佐藤義行、同大塚正民の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平)
平成二年(行ツ)第一〇九号 上告人 山口博文)
上告代理人佐藤義行、同大塚正民の上告理由
第一点、原判決には理由不備または理由齟齬の違法がある。
一、原審において上告人は大要次のように主張した。
(一) 御庁昭和四九年三月八日第二小法廷判決(民集二八巻二号一八六頁)も判示するように、「もともと、所得税は経済的な利得を対象とするものであるから、究極的には実現された収支によってもたらされる所得について課税するのが基本原則であり、ただ、その課税に当たって常に現実収入のときまで課税できないとしたのでは納税者の恣意を許し、課税の公平を期しがたいので徴税政策上の技術的見地から、収入すべき権利の確定したときをとらえて課税することとしたものであり、その意味において、権利確定主義なるものは、その権利について後に現実の支払いがあることを前提として、所得の帰属年度を決定するための基準であるにすぎない。換言すれば、権利確定主義のもとにおいて金銭債券の確定的発生の時期を基準として所得税を賦課徴収するのは、実質的には、いわば未必所得に対する租税の前納的性格を有するものであるから、その後において右の課税対象とされた債権が貸倒れによって回収不能となるがごとき事態を生じた場合には、先の課税はその前提を失い、結果的に所得なきところに課税したものとして、当然にこれに対する何らかの是正が要求されるものというべく、それは、所得税の賦課徴収につき権利確定主義をとることの反面としての要請であるといわなければならない。」と解される以上、本件各更正処分ならびに本件各更正通知処分は、いずれも当然に取消されるべきものである。けだし上告人にとって「現実収入」ないし「現実の支払」がないことが客観的に確定したからである。
(二) そもそも本件の場合、上告人にとって「究極的には実現された収支によってもたらされる所得」が存在しないことは明々白々の事実である。しかしながら、上告人に対し「現実収入のときまで課税できないとしたのでは、納税者の恣意を許し、課税の公平を期しがたいので、徴税政策上の技術的見地から収入すべき権利の確定したときをとらえて課税」したこともまた明々白々の事実である。つまり、被上告人はいわゆる権利確定主義なるものに基づき上告人に対し「後に現実の支払いがあることを前提として」課税し、また訴外熊本西税務署長も亡亀鶴とその相続人山口ミツ、山口節二、山口洋三および上告人に対し同様の課税をし、「実質的には、いわば未必所得に対する租税の前納」を強いられた訳である。
(三) ところが、その後亡亀鶴とその相続人山口ミツ、山口節二、山口洋三および上告人(以下右四名を「共同相続人」という)にとって「現実収入」ないし「現実の支払」がないことが客観的に確定したのである。即ち、昭和五四年四月一八日付の訴外太洋に対する会社更生法に基づく更生計画認可決定により、共同相続人の訴外太洋に対する債権が切り捨てられたのである。
(四) したがって、前掲御庁昭和四九年三月八日第二小法廷判決(以下「前掲御庁第二小法廷判決」と省略する)による限り、本件の場合「先の課税はその前提を失い、結果的に所得なきところに課税したものとして、当然にこれに対する何らかの是正が要求されるものというべく、それは、所得税の課税徴収につき権利確定主義をとることの反面としての要請であるといわなければならない。」つまり「収入すべき権利の確定」したときに課税し、「現実収入」ないし「現実の支払」のないことが確定したときに先の課税を取消す、これが「所得税の基本原則」なのであるから、「収入すべき権利」が後になって消滅した以上、先の課税の前提が失われたとして、所得区分を問うことなく先の課税そのものを取消すべきである。
二、原判決は、上告人の右主張に対し、大要次のように判示した。
(一) 上告人の引用する前掲御庁第二法廷判決は、後発的貸倒れに対する救済規定のなかった旧所得税法のもとにおける判決である。
(二) ところが、現行所得税法上は、後発的貸倒れに対する救済規定を新設し、正義公平の原則に反する結果にならないよう立法的に解決した。
(三) 共同相続人の訴外太洋に対する債権は、所得税法六四条二項にいう求償債権でもなく、同法六四条一項にいう売買代金債権でもなく、いわば第三の債権としての「太洋に対する貸付金」である。
(四) 右貸付は、共同相続人が、本件課税の対象となった各物件の譲渡代金を各買受人から太洋を介して一旦受領した後における新たな事後処分であって、この貸付金が前期更生計画認可決定により貸倒れとなって回収不能となったとしても、これは右課税の対象とされた譲渡債権とは名実ともに無関係というべきであるから、前掲御庁第二小法廷判決のいう結果的に所得なきところに課税したということにならないことはいうまでもない。
三、しかしながら、原判決の右判示には、次の如き理由不備又は理由齟齬がある。
(一) 共同相続人は、その個人所有にかかる不動産のすべてを訴外に太洋に提供し、それらの処分方法ならびに代金受領の権限もまた訴外太洋にすべて委ねた。したがって、その後において訴外太洋が実際に行った各不動産の処分方法は、売上・買主の表示の形式は異なろうとも、実質においては、すべて共同相続人より訴外太洋に提供された不動産の処分の実行に外ならない。訴外太洋はそのうちのあるものはそのまま第三者に売却したものの、残りのものは著しく低い価格で買受けたことにして一旦訴外太洋の名義にした上で、直ちにこれらを第三者に転売したものである。つまり本件各不動産の譲渡の「実質的経緯」が右の如きものである以上、これらの取扱いに差異を設けるべき理由は存在しない。
(二) ところが、原判決は、本件各不動産の譲渡の実質的経緯をすべて無視して(この点原判決には、後記第三点において詳述する如く、経験則違反の違法が存するが、ここではしばらく措く)、本件不動産の処分を二種に区分し、買主の表示が訴外太洋以外の第三者になっている分の譲渡代金につき、訴外亀鶴または共同相続人において、「太洋を介して受領ずみ」であると認定した上で、この受領ずみの譲渡代金のうち仲介手数料等を差し引いた残金を太洋に貸し付けている(借受金、準消費貸借契約の成立)が、右貸付けは、共同相続人が本件課税の対象となった各物件の譲渡代金を各買受人から太洋を介して一旦受領した後における新たな事後処分であって、この貸付金が前期更生計画認可決定により貸倒れとなって回収不能となったとしても、これは右課税の対象とされた譲渡代金債権とは名実ともに無関係というべきである、と判示した訳である。
(三) しかしながら、原判決の右判示には、次の如き理由不備または理由齟齬がある。
1.第一に、訴外太洋の帳簿上、「仮受金」として表示されているものが、どうして「借受金」となるのか。単なるゴロ合わせではなく、極めて重大な性質決定なのであるから、原判決が、かかる重大な性質決定を行うには、それ相応の事実認定に至る証拠・理由が存する筈である。ところがその証拠・理由が全く判示されていない。
2.第二に、亀鶴および共同相続人は、太洋の取締役であり、太洋との取引(準消費貸借)については商法二六五条により取締役会の承認が必要であるところ、右手続がなされていない。そもそも原判決は、かかる取締役会の承認の有無を重大視している。その原判決が、一転して準消費貸借については取締役会の承認がないことを一顧だにしないことには、それ相応の理由が存する筈である。その理由が全く判示されていない。
3.第三に、本件に顕われた証拠からすれば、「本件課税の対象とされた譲渡債権」は、「共同相続人の太洋に対する債権」と、密接不可分の関係にあることは明々白々であるのに、原判決はこれらは「名実ともに無関係」であるとした。その理由として原判決は、「共同相続人の太洋に対する債権」は、共同相続人が各物件の譲渡代金を各買受人から太洋を介して一旦受領した後における「新たな事後処分」によるものだからとしているようである。しからば「密接不可分の関係」にあるものを「名実ともに無関係」とするに至った「新たな事後処分」とは、いつ、誰によって、どのような形で行われたのか。これらの店につき、原判決は全く触れるところがない。
四、以上、原判決には理由不備または理由齟齬の違法があり、当然に破棄されるべきものである。
第二点、原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令解釈の誤りがある。
一、原審において上告人は、大要次のように主張した。
(一) 本件には所得税法一五二条を介して前掲御庁第二小法廷判決が宣明した「所得税の基本原則」が適用さるべきものである。
(二) 本件において訴訟の対象となっているのは、共同相続人の昭和四九年所得税と昭和五〇年分所得税である。昭和四九年分所得税に関しては、次の二つを根拠としている。一つは、所得税法六四条二項の適用を前提としてすでに提出済みの所得税確定申告書を認容して欲しいというものであり、二つは、いわば後発的(事後的)回収不能を理由とするものである。昭和五〇年分所得税に関しては、専ら後発的(事後的)取消事由としての後発的(事後的)回収不能を理由としている。即ち、昭和四九年分所得税および昭和五〇年分所得税に共通しているのは、昭和五四年四月一八日付の訴外太洋に対する会社更生法に基づく更生計画認可決定により、共同相続人の訴外太洋に対する債権が切り捨てられたので、所得税法一五二条に基づき更正の請求を行ったという点である。
(三) 確かに、所得税法一五二条の文言だけからすれば、後発的(事後的)取消事由としての後発的(事後的)回収不能は、同法六四条二項に該当しなければならないものの如くに解されるが、前掲御庁第二小法廷判決が宣明した「所得税の基本原則」による限り、たとえ本件の場合、同法六四条一項または同法六四条二項の適用ないし準用が困難であるとしても、同法一五二条を介して右「所得税の基本原則」が適用されると解すべきである。
二、原判決は、上告人の右主張に対し、大要次のように判示した。
(一) 共同相続人の訴外太洋に対する債権は、所得税法六四条二項にいう求償債権でもなく、同法六四条一項にいう売買代金債権でもなく、いわば第三の債権としての「太洋に対する貸付金」である。
(二) 右貸付けは、共同相続人が、本件課税の対象となった各物件の譲渡代金を各買受人から太洋を介して一旦受領した後における新たな事後処分であって、この貸付金が前期更生計画認可決定により貸倒れとなって回収不能となったとしても、これは右課税の対象とされた譲渡債権とは名実ともに無関係というべきであるから、前掲御庁第二小法廷判決のいう結果的に所得なきところに課税したということにならないことはいうまでもない。
三、しかしながら、原判決の右判示は、明らかに前掲御庁第二小法廷判決の趣旨と抵触する。
(一) 前掲御庁第二小法廷判決は、課税の対象とされた「収入すべき権利の確定した債権」即ち「実現した債権」が、後発的貸倒れによって回収不能となった場合に、権利確定主義に基づく課税の前提が失われたものとして、所得区分を問うことなく課税上の是正が行われるべきものと判示した、と解すべきである。
そうだとすれば、かかる「所得税の基本原則」が実定法上の条文に具体化されておれば、それはそれで良し、もし実定法上の条文に具体化されていなければ、「法がかかる結果を是認しているものとはとうてい解されない」から、文明の救済規定を超えた「所得税の基本原則」に基づく救済が与えられるべきものである。
(二) 本件の場合、「所得税法の基本原則」を具体化したものとして、所得税法六四条二項または同法六四条一項の適用ないし準用があるものと解すべきではあるが、仮に百歩譲って、本件の場合、これら実定法上の条文の適用ないし準用が困難だというのであれば、まさに前掲御庁第二小法廷判決が宣明した「所得税の基本原則」が適用されるべきものである。なぜなら、共同相続人は「現実収入のときまで課税できないとしたのでは、納税者の恣意を許し、課税の公平を期しがたいので、徴収政策の上の技術的見地から、収入すべき権利の確定したときをとらえて」課税された、つまり、「後に現実の支払があることを前掲として」課税された結果、「実質的には、いわば未必所得に対する租税の前納」を強いられたが、その後において予定された「現実収入」ないし「現実の支払」がないことが客観的に確定したのであるから、「先の課税はその前提を失い、結果的に所得なきところに課税したもの」となったからである。
(三) 即ち、共同相続人に終極的に帰属した所得を証する証拠はなく、むしろ本件に顕われた証拠からすれば、共同相続人にとって「現実収入」ないし「現実の支払」がなかったことは明々白々である。しかも昭和五四年四月一八日付の更生計画許可決定により、共同相続人の太洋に対する債権が切り捨てられた以上、「現実収入」ないし「現実の支払」が今後絶対に起り得ないことも客観的に確定した。そうだとすれば、前掲御庁第二小法廷判決による限り、本件の場合、「先の課税はその前提を失い、結果的に所得なきところに課税したものとして、当然にこれに対する何らかの是正が要求されるものというべく、それは、所得税の賦課徴収につき権利確定主義をとることの反面としての要請であるといわなければならない。
(四) ところが、原判決は、突如として、いつ、誰によって、どのような形で行われたのか全く不明の「新たな事後処分」なる架空の事実を作り上げ(しかも、取締役会の承認もない)、この事後処分によって前掲御庁第二小法廷判決の適用はなくなった、と判示した訳である。かかる判示は、前掲御庁第二小法廷判決の趣旨と抵触することは明らかである。
第三点、原判決には経験則違反の違法がある。
一、原判決において上告人は、大要次のように主張した。
(一) 共同相続人は、「その個人所有にかかる不動産のすべてを訴外太洋に提供し、それらの処分方法ならびに代金受領の権限もまた訴外太洋にすべて委ねたのである。したがって、その後において訴外太洋が実際に行った各不動産の処分方法は、売主・買主の表示の形式は異なろうとも実質においてはすべて共同相続人より太洋に提供された不動産の処分方法の実現に外ならないのである。例えば、友人の甲の借入金の保証人になっていた乙が、乙の自宅を売却して、その売却代金を甲に交付し、甲はこれを貸主に返済したとする。これを形式的に見れば乙は甲に対し、乙の自宅売却代金を貸し付けたことになるが、(甲は乙からの借入金と認識するであろう)、これを実質的にみれば、乙が自ら自宅売却代金をそのまま甲の買主への弁済に充てた場合(甲は乙からの求償債務と認識するであろう)と何ら異なるところはない。つまり、甲の乙に対する債務が形式的には「借入金」であろうと「求償債務」であろうと、そもそも乙の資金の源泉そのものが乙の自宅売却代金であり、当該代金が保証に係わる債務の弁済に充てられている以上、甲の貸主のもとに当該金員を甲が持参したか乙が持参したかは問題とはならない。いわんや甲と乙との間で金銭貸借の形式をとったか、仮受金の形式をとったかは全く問題とはならない。さらに進んで、もし乙が乙の自宅と別荘を甲に提供して、その処分方法および代金受領の権限を甲に委ねたが、甲はそのうちの乙の自宅をそのまま第三者に売却したものの、乙の別荘は著しく低い価格で買い受けたことにして一旦、甲の所有名義にした上で、さらにこれを第三者に転売したという場合があっても、かかる売却処分によって得られた資金が保証に係わる債権の弁済に充てられている以上、その形式上の買主が第三者であるか甲であるかは問題とはならない。いわんや甲と乙との間で仮受金の形式をとったか未払金の形式をとったかは全く問題とはならない。要はまさに「実質的経緯」である。これを本件についてみれば、訴外太洋の全債務について個人保証をしていた亡亀鶴ひいては共同相続人が、自らの個人資産を訴外太洋に提供し、訴外太洋はそのうちのあるものはそのまま第三者に売却したものの、残りのものは著しく低い価格で買受けたことにして一旦、訴外太洋の名義にした上で更にこれを第三者に転売したものである。」
ちなみに登記簿上は、すべて亡亀鶴ならびに共同相続人より第三者に直接譲渡されたものとして移転登記がなされており、訴外太洋より第三者に所有権移転の登記がなされた物件は皆無である。
(二) 加えて次の点に特別な考慮を払うべきである。即ち、一旦訴外太洋が買受け名義人となり、これをさらに第三者に転売するという形式は熊本国税局の示唆によるものである。その何よりの証拠は、かかる形式は所得税法五九条一項一号に該当し、本来ならば、共同相続人は訴外太洋に対し「その時における価額に相当する金額により、これらの資産の譲渡があったものとみなす」ことになるのに、課税当局はそのような更正処分をわざわざとしていないことである。
二、原判決は、上告人の右主張に対し、大要次のように判示した。
(一) 本件不動産の処分は、二種に区分すべきである。一つは、買主が訴外太洋になっている分、他の一つは、買主が太洋以外の第三者となっている分。
(二) 後者の分、即ち買主が太洋以外の第三者となっている分については、各物件の譲渡代金のうち仲介手数料等を差し引いた残金を太洋に貸し付けた。
三、しかしながら、原判決の右判示には、次の如き経験則違反がある。
(一) 第一に、訴外太洋の帳簿上、「仮受金」として処理されているものを突如として「借受金」と認定することは経験則に違反する。
(二) 第二に、もし、「借受金」とする「新たな事後処分としての貸し付け」がなされたとするならば、原判決の論法による限り、商法二六五条により取締役会の承認が必要となる筈であるのに、そのような取締役会の承認がなされた事実を認めるに足る証拠は皆無である。しかるに原判決は、突如として、「新たな事後処分としての貸し付け」がなされたと認定しているのである。このことは、経験則に違反すること明らかである。
(三) 第三に、本件に顕われた証拠からすれば、「本件課税の対象とされた譲渡債権」は「共同相続人の太洋に対する債権」と密接不可分の関係にあることは明々白々であるのに、原判決が突如として、これらは「名実ともに無関係」であると認定したことは、正に経験則違反以外の何物でもない。
以上の次第で原判決は、いずれの点よりするも違法であるから破棄されるべきである。